6.慈仙寺跡
平和の観音像の北側に、慈仙寺跡がある。大きな石で囲まれた、まわりより一段低くなったところに、灯籠の基石や墓石が転がっている。
被爆前の慈仙寺は、墓地も含む境内の広さが3600uほどもある大きな寺だった。
原爆が投下された時、爆心地から200mのこの寺は一瞬に破壊され、全焼した。
その瞬間にこの寺にいた人は、全員が死亡している。
国民学校5年生だった住職の3男は、その瞬間には、登校して学校にいた。
九死に一生を得て寺の跡に戻ると、あたりは火の海で、焼けた瓦などが散乱し、足の踏み場もないほどだったという。
いま、慈仙寺は市内に移転している。
この慈仙寺跡の地面は、周囲より低くなっている。
だが、これは、ここが窪んだのではないのだ。
これが、被爆前のもともとの地面の高さなのだ。
壊滅した中島本町一帯。
被爆した瓦礫を片付け、土を入れて整地して、いまの公園の地面になった。
被爆した地面の上に、原爆で破壊された人々のくらしの残骸が積み重なり、いまの平和記念公園の地面がある。
慈仙寺跡は、説明板もなく千羽鶴もない、目立たない。
だが、かつてここに人々の生活があり、原爆はそれを容赦なく焼き尽くしたということを実感するには、はずせないポイントである。
いちどは、原爆投下前の地面に立ってみたいものである。
なお、すぐ近くに韓国人原爆犠牲者慰霊碑がある。本川橋の西からここに移設された。